「垢抜け」と「野暮」
都市化の一つの局面である「広い世間」の拡大で改めて浮かび上ってきたのは他人と折り合って暮すライフ・スタイルの大切さです。
かつて、この点は「都市論におけるUR軸の再検討」と題し、次のように指摘されたことがあります。
「いま都市と農村にそれぞれ漢語的表現を使って都会と田舎という言葉を当てれば、都会一世はしばしば田舎者と椰楡されてきました。
田舎者とは都会の事情に暗く、作法を知らない、趣味の悪い人間のことでした。
アーバンとルーラルは、実は都市と農村という生活実体の地域特性を示すほかに、『垢抜け』と『野暮』というライフ・スタイルの相違を意味しているのではないでしょうか。
都会一世が田舎者とよばれたのは、どこの馬の骨かわからない赤の他人が来住する都市の中で、克己心強く、度胸と才覚で、なりふりかまわず、富と地位の獲得をめざした活力と粗雑さ故ではなかったでしょうか。
『衣食足りて』礼節を失ったのは、実は、落着いた、潤いのある美しい居住環境への志向を欠いていたからであり、その野暮ったさを嘲笑されたともいえます。
しかし、都会で生れ育った都会二世や三世が、野暮ったさを払拭して垢抜けし、洗練された感覚やマナーを身につけたかといえば必ずしもそうとばかりはいえません。
卑近な例では、人前で、人混みのなかで、平然とタバコをふかす傍若無人の無感覚さは都会一世に限られていないのです。」
・・・と。