「垢抜け」と「野暮」 4
住民による自律的秩序の形成は、「私」生活をこえる問題の解決をすぐに役所に委ねてしまわず「私的領域」と「役所(行政)の領域」との間に住民同士が共同して問題の解決に当たるという「公共的領域」を介在させることを意味しています。
それは、従来、「官」ないし「お上」としての役所がなにが「公共」的であるかを独占的に解釈し、「公共」を「共同」よりも「公」として重視してきた地域社会の風土のなかに、「官」ないし「お上」とは異なった「公共」の領域を確立していくことにほかなりません。
役所の活動が「公共的」でなければならないことは否定できません。
「公共」の観念は、社会の秩序と安定を形成し維持する上では不可欠です。
そして「お上」としての役所は、いわば守公神としてなにが「公共」であるかを独占的に決め、「私」をこえるものは「公」で、「公」は役所が体現すると考えられてきました。
これは「私的領域」と「公共的領域」を二分論で考え、「公共的領域」を役所の活動へ専属させる発想です。
住民が共同すれば解決できる問題を役所(行政)の仕事に変えていくことは、住民の要望に対する行政の適応性を高めるようにみえます。
実際、そういう場合もあるでしょう。
しかし、その実、行政担当者は、自分たちのトラブルを自分たちで処理できない住民の自治能力の乏しさを内心で軽蔑しつつ、面倒だが役所が乗り出さなければだめだなという後見主義的な考え方をとることになり、結局、住民を管理する行政の成長を促すことになります。